
前書き
このサイトはHugoというSSG(静的サイトジェネレータ)のPaperModというテーマを使っているのですが、それ以前にはほんの一瞬(ほんとうに一瞬)だけQuartzというSSGを使用していました。
で、なんで乗り換えたかというと、ちょっとハードコアなんですね、Quartzって。そこが魅力でもあるんですけど。
Quartzを選ぶべきかどうかは、「デジタルガーデンの哲学にどれだけ自分がコミットできるのか?」が基準になると思います。そのあたりを熟考して普通の「ブログでいいかも……」となるならそっちを選ぶ、みたいな。
というわけで以下ではQuartzを体験して感じたよかったところ、自分に合わなかったところを具体的に挙げていきます。あたしは技術者ではないので、結果として執筆への向き合い方がメインの話になった。
よかったところ
Obsidianの記法がそのまま使える
たんに.mdのファイルをウェブサイトの1ペーて扱いたいだけなら、HugoやAstroといった他の主要なSSGであっても対応しています。ここで問題になるのはObsidian独自の記法です。
たとえばObsidianは内部リンクにwikilink記法(ダブルブラケットで対象の単語を囲むやつ)を採用しているのですが、あれは他のMarkdownにはないんですね。一般的なMarkdownのリンクはどれもObisidianにおける外部リンクのような、[表示文字](相対パス.md)みたいなものしかない(こういう違いが引き起こす面倒を避けたい人向けに、Obisidianは設定で「ウィキリンクを使用」のオン・オフを切り替えられるようになっている)。
だから普通はObsidianのノートをアップしたいと思ったら、いちいちダブルブラケットを消したり、リンクを貼りなおしたりしなくちゃいけない。
他にもコールアウトや==こうやって==イコール2つで囲むタイプのハイライトとか……。直さなくてはいけない箇所って意外と多い。
Calloutsが使えるようになるHugo admonitionsを導入する
HugoでObsidianのCallouts記法を使うために、KKKZOZ氏が作成したHugo admonitionsを導入する プラグインや自作のプログラムを使ってそういうのを一括で変換する仕組みを確保することはできるのですが、ひと手間かかるのは事実です(「AIにやらせたら?」というのはまあそう。でも意外な見落としが多くて面倒なんだよな、そもそもその記法を使ってたことを忘れてるとか……)。
Quartzではそういう手間暇を省略できるのは明確なメリットだと思います。せっかく自分で構築したノートシステムをわざわざ解体して組み直すのは、なんというか本質的ではない。
「手入れ」を前提とした執筆システム
とにかく気軽に書ける。「ちゃんとした記事をあげなきゃ」圧が体幹として低い。これが大きい。Obsidian記法が流用できることより、こっちのほうが圧倒的なメリットだと思う。
Quartzはその
哲学
の根幹にデジタルガーデン1があります。「なにそれなんだかよくわからん」という人は(おもにひとりでやる)wikiだと思えばよい。
wikiって、一読者としては「記事を読みにいく」って感じではなくないですか? あくまで「情報を見にいく」って感じ。
で、別に情報が欠けてるページがあったとしても「まだ手が回ってないんだな~」と思っておしまい。そのあたりがあきらかにブログとはちがう。2
これを逆に書き手の立場から考えると、ブログ記事を仕上げるよりよほど気楽な話で、まずちゃんとした内容を書く必要がなくなる。ただ概要や外部リンクが置かれただけの断片でも、「公開したい」と思ったならやっていい。3
デジタルガーデンにかぎらず、自分の書いたテキストを「完成品」ではなく、「世話をし続けるもの」「手直しし続けるもの」としてとらえるのはノート術によくみられる特徴ですが、それにくわえてQuartzは「文章を公開するという行い」にまつわる気持ちの重さを、すこしだけやわらげてくれます。なぜなら「このQuartzという便利ツールは、デジタルガーデンをネット上で公開するためにデザインしたものですよ」というお墨付きをくれるわけですから。「訂正可能性」という考えに惹かれるひとにはいいのかもしれない。
完全さを目指す必要がない。人に読ませるための文章に整形しなくていい。あるていど長い文章じゃないとな~という変な使命感をおぼえなくていい(さすがに他人を騙すつもりの嘘とかはどうかと思いますが)。
そう。たとえばリンクをクリックしたら画像大喜利だった、とかでもかまわない。もちろん普通のブログで画像大喜利してもいい4んですが、画像1枚にひと言だけ添えてある、それだけのページ……みたいなのがやりやすいのはQuartzでしょう。
「そんなもんのなにがデジタルガーデンなんじゃい」といわれると弱ってしまうが……。
でもものすごく真面目な本について、ものすごく真面目で丁寧な感想が書いてあるエントリのリンクをなにげなくクリックして、そこにダジャレが書いてあったら、不意をうたれてきっとめためたに笑っちゃうと思う。そういうことで笑える人間でありたいものだよな。5
だれかから「なにこれ?」って聞かれても、「いやまあそういうページだし」「個人wikiなんだからいいでしょ」でかわせる。本当にかわせるかはわからないけど、開き直れる。不完全な文章を書いた責任を、ほんのちょっとだけシステム側に寄せることができる。
他人が文責を負ってくれるというわけではないです。当たり前。しかし、この「ブログっぽいことを書かなくてもいい」というささやかな身軽さは、Quartzの、ひいてはデジタルガーデンをネット上でやることのメリットじゃないかなと思います。
【閑話】v5のカスタマイズについて
この記事を書いている時点 (2026/09末) 時点でQuartzのバージョンはv5なのですが、これがけっこう大きな変更だったみたいで、カスタマイズの方法について普通に検索するとなかなか詳しい情報が得られず苦労しました。過渡期だからか、v4以前の情報が混ざってしまう。
有識者的にはv5のほうがカスタマイズが簡単になってるらしいですが、きっと過渡期なのでしょう。また、
先駆者の方
によると、Codexを使ったら簡単だったっぽい(まあそれでもPaperModひいてはHugoのほうが簡単だったけど……)。
そちらのサイトでも書かれているように、QuartzはObsidianのコミュニティプラグインに対応しているわけではないので、とくに見た目まわりで困ってる人は意固地にならず、プログラミングに特化したAIに投げちゃうくらいがいいかもですね。
関係ないですがリンク先のサイトでこの記事読んだらおもしろかったです。見ることのおもしろさってこういうところですよね。紹介されているマーティン・パーのインタビューも読めてよかった。
ParrのユニクロTシャツにアングルを見つけた | 無聊写記
Parr のユニクロTシャツの購入をきっかけに、その被写体となった少女とアングルの作品からParrの作品世界を分析し、ユニクロとルーヴルのパートナーシップからParrを通して生まれたこのTシャツが商品化されたいきさつを解説する。
合わなかったところ
空のページが大量にできあがってしまう
わたしがつかっているObsidianには、バックリンクを取得するためにつくったファイル名以外には中身がない空のノートや、「必要になったら書こ~」とダブルブラケットで囲んで記しているけれどまだ実体は存在していない未作成ノート6が大量にあります。
ローカルで使ってるならそれでいい。でも、それらをそのまま同期させてネットにあげたらどうなってしまうか。
できあがったたくさんの無のページにたいして知らん顔している度胸は……あたしにはなかったんすよね。
いちいちリンクやページの要・不要を判断するのもコストがかさむし、ネットにアップした際のことを考えてふだんの使い方を変えるのは本末転倒だし……。
ていうか、それやるくらいならもうダブルブラケットを一括で削除したほうが早い!→だったらもうQwartzにこだわらなくてよくないか!??
こうなってしまったわけよ。
つまり、今さらだけど、Obsidianと(伝統的な?)衆目に晒すタイプのウェブサイトでは、人間がリンクに持たせている意味あいが違うわけです。だからそのまま丸ごとあげようとしたら通用しない。
実際、海外も含めて先達の方々の使用例を見ていても、ほぼブログみたいな使い方してる人が目につきがちなんですよね。ぬ~ん。
これは「完全さを目指さなくていい」「アップデートしていけばいい」というデジタルガーデンの長所がもつ裏面ですね。さすがに中身がゼロのページだらけなのは……どうしても違和感あるものな。7サボってるお前が悪い、それはおっしゃるとおりです。
もちろん、そのへんがなーんにも気にならない人であれば問題ない。Quartz試してみてください。まあ大量の空ページができあがったところでさほど実害はないだろうし……(SEOに影響あたえたりするのか? でもSEOを気にする人はそもそもQwartzやらないかもしれん)。
結びに
なんかこうやって書いてみると、Quartzがどうこうというより、あたしが惰弱なだけの気がしてきたな……。
ようするにあたしは、
- 普段からすみずみまでノートをとるほど勤勉でもない
- 個人サイトにあげる文章は「こういうものである」という規範意識から脱せれていない
- 他人の目を完全に無視して「書く」という行為に没入できていない
そんなかんじなのでQuartzの哲学にフィットできなかったのでしょう。他の人の参考にしてもらおうと半ば善意で書きはじめた8のに、まさか自分の情けなさを痛感することになるとは。いや、まいったね。9
ようするにさぁ……根性が足りないよ根性が。
やっぱりデジタルガーデン部の1年にデジタル庭いじりなんてはえーんだよな。アナログ庭いじりで庭いじりのなんたるかを学ぶべき。終わったらランニングして、そのあと先輩のデジタル筆記具磨いとけよな。
みんな本当に庭の比喩が好きだな。 ↩︎
使っているツールや媒体によって「書く」「読む」という行為が変化する面はぜったいにある。ObsidianであれだけThinoプラグインが人気なのはUIがXに似ているからなんですよ。みんなXが「ちゃんとした文章を書かなきゃいけない場所」だとは思っていないおかげで、無意識のうちに「雑にメモを取る」練習につながっていたのだと思う。それが幸か不幸かわからないけど。 ↩︎
Quartz(を始めとしたSSG)、やろうと思えば普段からつかってるObsidianのVaultをそのまま同期対象のフォルダに指定できるのですが、その場合はうっかり個人情報を含んだファイルをアップしないように……気をつけてね! ↩︎
そもそも普通のブログでツェッテルカステンやったり、逆にQuartzでいかにもブログって感じの運用してもいいんですけどね。探せば実際にいるでしょう(プログラマのみなさんとかそんな感じよね。ある問題にどう対処したかだけが端的に載っている)。でも改めてなんというかこう……やっぱり「何で書くか」「どこで書くか」って人間をけっこうな強さで拘束してるんだなーと思います。あたしが規範に弱いだけかも。 ↩︎
ここまで書いて気づいたけど、あたしはいまだに「ネットにあがった文字は人間が書くもの・読むもの」という前時代的前提のもとでこのエントリを書いとるな。 ↩︎
前者はファイル名しかないノート。人物を始めとした固有名詞ページが主。後者はダブルブラケットを使って記してあるが実体はVaultにまだ存在していないノートのこと。「このリンクがつけられたノートが増えてきたな」と思ったタイミングでノート化したりMoCにしたりする。 ↩︎
これってけっきょく他人の目を気にしてるわけで、従来の読者を意識したブログ的な価値観から脱せてない、デジタルガーデンをやるにあたっての気概が足りてないんすよね。 ↩︎
こういうとこだぞ。 ↩︎
「じゃあ空のページはAIに適当に埋めてもらおう」は解決になるだろうか? それでもけっきょく判断のコストが人間側にあるのは変わらないと思うんだよなー。 ↩︎

